8月16日循環器科外来

16日にメイン病院にいってきました。

10時30分から心エコー、11時から診察の予定でしたが、夏休みなこともあり混んでいて時間おしました。

まあ、着いたのが10時15分くらいでそこから計測、レントゲン、心電図だったのでそのせいもあるんですが。

今回も逆流は中等度。

大きな変わりなし。

心エコーはみたことのない医師で、途中から見覚えのある医師に交代。

エコーは前回同様私も同席してエコーみていたんですが、逆流しているのはなんとなくわかるんですが、なんか、赤とか黄色とか色がはげしくて、もしや逆流増えたのか!と思いきや変わりなし。

心エコーのざっくりとした見方とか勉強しておいたほうがよいように思うけど毎回忘れてふりだしにもどります。なので前回との比較できず。

12時半くらい?に診察。

かんのむしのこととか普段の様子のことを確認し、聞かれました。

普段は、ちょっと寒くなると手足が冷たくなるのと、夏になり頭に熱がこもりやすいことを伝える。

そして、今回は娘の要望で、薬を粉から錠剤に変更してもらいました。

言ってみたら、今の薬の量でもいけました。

粉だと娘、飲むとき仰向けになってがばっと口にいれるのでこぼしてしまいやすいんですよね。

なので変更できてよかった。

そしてここで衝撃の事実が!

なんと、エナラートって、1日一回でいいらしいですよ。

いやいやいや、前回入院の時に外科担当医に、

最終的に薬はアスピリンとエナラートを永続的に飲む。

アスピリンは1日一回にできるが、エナラートは半減期が短いので1日一回にはできないので、アスピリンもそれにあわせて1日2回にしておく。

とはっきり言われましたよ。

循環器科主治医に聞くと、基本エナラートは1日一回にしている、とのこと。

その時の説明は違う意味でいっていたのではみたいななことをおっしゃってましたけども。

いやはや、永続的と言われていたアスピリンはさっさと終わるし、前回外科担当医の言ってることあとからくつがえりまくりで前回外科担当医への不信感増しましたが、まあ、薬が1日一回になってよかった。

でも、薬が1日一回か二回かって、飲む方にとっては大きな問題じゃないですか。

一生飲むと言われた薬が実はいらなくなるとかそういうのもですけど、いくら医師によって言うことが違うのがデフォな病院とはいえここは統一してほしいものだと内心いらつきました。

でも、もしかして医師によって薬に対する考え方とか方針も違うのかもしれないな。

医療の常識もどんどん変わっていっていますしね。

と、無理やり好意的に考えてみる。

そして今回は、娘からグレープフルーツをなぜ食べていけないか聞きました。

そうしたら、先生、どこにかいてあるの?でも薬飲んでるからだめなんだ、みたいな説明をして、薬剤師に詳しく聞いてくださいとのこと。

グレープフルーツについては、地元病院の循環器科主治医も、首を傾げていたので、これも医師によって見解が違うのかなー。

ネットで調べたら、エナラートの血管拡張効果血圧を下げる効果?を増幅させてしまうみたいだったのですが、薬剤師にちゃんと聞いてみようと思います。

娘は最近とてもグレープフルーツを食べたがっていて、せつないですが、でも先生に聞いたらグレープフルーツ以外はいいらしいのでほかでがまんしてもらいます。

薬は、エナラートの錠剤を夜に一回になりました。

ありがたいことに、今回も大きな変化なく診察は終わりました。

遅い昼食はスシローでとりました。

子供達はスシローのガチャガチャも大好きで、大興奮。

私はグラスビールで、心のなかでお祝いしました。

さて、今回はこの後、夏の行楽にでかけました。

その話はまた後日。

イノシン襲来

餅米の田んぼです。

イノシンにやられました。

人家の間近にある田んぼなんですが、ついにここもかぁORZ

とりあえず、緊急で、電気柵を張ります。

倒された部分は、手刈りして、廃棄かなぁ、これは。

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秀岳館、鍛治舎監督日本文理、大井監督ど

秀岳館、鍛治舎監督日本文理、大井監督どっちも負けてしまったけど二人とも最後は清しい笑顔やったな。本当にお疲れ様でした!

病院メモ 犬子さん

先日の子宮蓄膿症の手術から帰宅して3日。

犬子さんは、手術後から咳が酷くなった。

麻酔の時のチューブで炎症が起きたのかも。

1週間ほどで改善するらしいので様子見。

かなり脅えていて散歩のためでも、体に触れると激怒。

去年家に来た当時はこんな感じだったなー( ´ー`)

匂いがひどいのでウェットシートで軽く拭いたけど、パニックになって大暴れ。。。

暴れる上に、本気で噛みついてくるので、かなり危険。

エリザベスカラーがなかったら触れないだろうと思う。

外した後が怖い。。。けど外さないわけにもいくめぇ。。。

抜糸までに落ちついてくれるといいけど。

絶対また病院が嫌いになったので、連れて行くのも大変そう。。。

サークル越しに指をなめるくらいはしてくれるようになった。

■診療明細

診察料  500

生化学15項目   5000

電解質(Na,K,Cl) 2000

C反応性蛋白(CRP) 2000

超音波エコー(マルチ) 4000

凝固系(PT,APTT)セット 4000 ←血液が固まるまでの時間を調べるものらしい。

レントゲン検査 2000 ×3

生化学10項目(CBCセット) 3000 ←退院前の血液検査

血管確保・留置  1000

歯石除去A  10000

抜歯  200×6

手術中生体モニター料  1500

卵巣摘出手術-イヌ(子宮蓄膿症)  40000

コンべニア注射 0.1ml  500×3 ←2週間効く抗生物質

血管点滴注射-B  3000

アニマルネッカー  1600

吸入麻酔  6000

入院料-イヌ(5kgまで)  3000×3

消費税  8104

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合計 109,404

2週間後の抜糸で、血液検査をもう一回するそうなので、血液検査15項目+電解質分くらいの費用がかかりそう。

抜歯は500円ほどらしい。

一日一回くらいは縫い目を見て異常がないか確認。

消毒まではしなくていいらしい。

退院前の血液検査で、ALKPとALTが高値だったものの、手術の影響かな?って感じで様子見。

どちらも肝臓の数値。

藤浪の死球で選手生命おわる選手が出るの

藤浪の死球で選手生命おわる選手が出るの時間の問題かも藤浪も選手生命賭けてもがいてる所だろうけど危険だな

落し物

おはようございます。こんにちは。

こんばんわ。

綾鷹でございます

いやーまた今日も雨ですよ。

1週間以上雨が続いてて気分も下がりますね。

今日はお休みなので、近くのイオンまで歩いて買い物へ!

と、診察券の入った落し物を拾いました。

持ち主の方と連絡が取れたので良かったです

僕は落し物拾うこと多いんですよね。

財布とか、車の鍵とか。

かなりの回数拾ってると思いますw

もちろん!ちゃんと交番届けたりしてますよ!

自分が落し物をしても返ってこないけど。

綾鷹

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過去を忘れるのが早すぎないでしょうかなかにし礼さんインタビュー

東京新聞2017年8月15日

戦後72年の終戦記念日の特集は、作家で作詩家のなかにし礼さん78のインタビューです。創作の原点であり、生と死そして国家と個人を考える端緒となった戦争の闇を語り、その闇の深さから生まれた憲法を最高の芸術作品と呼びました。聞き手編集局次長瀬口晴義

幼少期に引き揚げ

せい絶な引き揚げ体験がおありですね。

僕の人生の幕開けは爆弾の音でした。昭和二十年八月で、当時は六歳。交響曲運命の第一楽章のようにジャジャジャジャーン!と目が覚めました。

満州へ両親が北海道の小樽から渡ったのは昭和八年です。酒造りで成功し、私は十三年に生まれました。揺籃ようらんの穏やかな時が流れていたのに、にわかにソ連軍が侵攻してきました。

八月十一日の午前十時ごろです。わが家の庭にいると、ソ連軍の爆撃機がものすごいごう音で飛んできました。目の前で、腹がぱかっと開いて爆弾がぽろりぽろりと落ち始めて。道一本隔てた陸軍の兵器庫を大爆撃したわけです。僕は吹き飛ばされ、家は爆風でガタガタになりました。

父は長春に出張中で留守でした。母は一日も早く逃げるべきだと即断します。関東軍に掛け合い、軍人とその家族を避難させる列車に自身と私、七歳上の姉を潜り込ませました。

夜陰に紛れて牡丹江駅を出発した列車には千何百人も乗っていました。国を守るべき軍人がいち早く国民を捨てて逃げるのです。翌朝、列車が横道河子おうどうかし駅の辺りで機銃掃射を受けます。僕たち家族も一般居留民を出し抜いて軍用列車に乗った後ろめたさは感じていましたが、われ先に逃げたのはふんぞり返っていた少佐らしき軍人でした。

機銃掃射の時、母はおまえは小さいんだから座席の下に隠れなさいと僕を座席の下に押し込み、外へ飛び降りて逃げた。僕は、親から見捨てられた気分になりました。生まれて初めての残酷な体験です。列車に戻ってきた母はこれからは自分の意思で逃げて、自分の意思で生きなさいと。母の名言で、僕ががんになった後、生きる力につながりました。

なかにしさんは、がん治療の方法を自らの考えで選択されました。その原点ですね。ハルビンまでの逃避行では、ご著書に印象的なシーンがあります。

はい。珠河しゅか現尚志の駅の手前で、列車が大きな川にさしかかると、鉄橋は今にも壊れそうです。全員下車して川を渡り、貨車だけを通しました。ぬれた体で向こう岸に着き、列車に乗ろうとすると、長野県からの開拓民たちが押し寄せてきました。病人だけでも乗せてくれと、無蓋むがい列車の箱枠にしがみついてきます。

将校は離れないと、指を切り落とすぞと軍刀をかざし、私たちにその手を振り払えと叫びます。僕は最後尾の貨車だったので、彼らの手の指一本一本をもぎとるようにはがしていきました。

その指を離せば彼らはそこで餓死するか、歩いて疲れ死ぬか、中国人の暴動で死ぬかです。指をはがしたのは僕たちの意思というより、兵隊の意思でです。逆らえば、僕たちも殺される。見殺しという言葉がありますが、見殺しに加担したことが僕の幼年期の第一の罪の意識です。はがされる人の指の感触も、顔も覚えています。

満州で敗戦を迎えた私たちは三度にわたり、国家から見捨てられたわけです。一度目は、関東軍によって棄民されます。二度目は、居留民はできるかぎり現地に定着せしめるという外務省からの訓電です。そして三度目は、引き揚げ政策の連合国軍総司令部への丸投げでした。

引き揚げ船に乗ったのは翌年ですね。

そこでも大人たちの姿に幻滅しました。満州ソ連兵の女狩りに協力した避難民へのリンチ劇。夜には大人の男女がもぞもぞと重なり合い、うめき声をあげる。

少年心にも、生きていてもしょうがないと。夜の暗い甲板から姉と一緒に死のうとした時、船員さんに止められます。リンゴの唄を聞かされ、君たち、死んではいけない。今、日本では皆この歌を聞きながら、焼け跡から立ち上がろうとしているんだと。

僕は、なぜ平気でこんな明るい歌が歌えるんだろう、と思いました。僕らは玄界灘の真っ暗な海の上をさまよい、まだ戦争は終わっていない。なのに日本人はもう新しい出発をしている。悲しくて。僕にはとても残酷な歌でした。

中国残留孤児が日本人の生活を見たらどう思うでしょうか。自分たちの戦争はまだ終わっていない。国にも帰れない。やっと訪れたら、自分たちのことなんて忘れて、裕福に生活している。ものすごい悲しい状況でしょう。日本人の得意技ですが、過去を忘れるのが早すぎないでしょうか。私たちはいまだにそうしたリンゴの唄を歌い続けているわけですよ。

今年の七月の終わりごろ、生まれ育った旧満州を訪れました。帰国の拠点だった葫蘆ころ島には当時の駅舎や鉄道のレールが保存されていました。当時がよみがえり、たまらない気持ちになりました。

憲法は最高の芸術

日本国憲法を芸術作品だと表現されていますね。

地獄の底でも落ちる深さが深いほど、跳躍する高さは高くなるでしょう。あの戦争でアジア全体で二千万人以上が亡くなった。大変な犠牲を払い、ついに手に入れた最高の憲法ですよ。

米国の押しつけだとか言いますね。けれど、これは戦後日本の再出発の宣言書なんです。世界に向けた宣言書。各国が認めて、反対しませんでした。世界が希望する国の形を与えてくれたとも、われわれが選んだとも言えます。大きな歴史のうねりの中で生まれた。本当に奇跡的な、最高の芸術作品だと思います。

その憲法のもとでとにかく戦争しないで七十数年やってきました。一体これの何が不都合なのでしょうか。国民は誰ひとり戦争が起きて幸福にはならないのに、なぜ政治家のまねをして改憲に賛成しなきゃならないのか。政治家とつるんで金もうけでもたくらんでいるのでしょうか。

美しい日本取り戻す。そうした抽象的な言葉で何に回帰したいのでしょうか。日本の理想はまだ実現されていません。この憲法の名の下にこれから実現するべきなのです。なのにその努力を怠り、反省すべきを反省せず、戦前の軍国主義を勘違いして、そこに美を求めるのはとんでもない反動です。

昭和二十年までの軍国主義によってどれだけの人を悲しませ、苦しませ、犠牲にしたか。そして愚かな戦争によってどれだけの若者たちが無駄死にし、犬死にし、飢え死にしたでしょうか。そして、中国人や韓国人に対してどれだけの過ちをしたか。そうしたことを本当はもっと国民に知らせるべきなんです。

それなのに若者はそれを知らないし、今、それを言おうとすると大変です。小泉政権のころから日本は悪くなかったという国民意識の改革のようなものが始まり、そうした洗脳が十年近くかけて実を結んできたわけです。国民意識の変化は怖いですよ。

自民党改憲を言うとき、対案を出してくれと求めます。それには各党が反対なんだから対案なんて出す必要はないと言えばおしまいなんです。もともと改正の必要がないわけだから。そうすれば国民の目も覚めますよ。

自民党改憲草案は、発想が国家ありき。憲法は国民ありき、個人ありきなのに、逆転の発想がしたくてしょうがないようです。棄民思想をずっと日本はやってきたわけですが、少しも進歩していません。

個人が抹殺される

現代の棄民についてどうお考えですか。

福島の原発事故が起きて、当時は民主党政権でしたが、あのときの情報を開示しない状況から思い付いたのは棄民でした。今も事故によって故郷を追われ、避難民生活を余儀なくされている。

戦前、国策で満州へどんどん人を入植させました。戦争でやばくなったら、さあ帰ってらっしゃいというのが普通の国家です。今は除染されたから帰れ、帰らないと補助金はあげられないなんて棄民を絵に描いたようなものです。

国という一つの組織となると、人格を失うというか。まさに戦争とは非常事態宣言です。個人がいかに抹殺されても国家の正義だというものが論理の上では成り立つわけですから。それでは個人がたまったものではない。犠牲になるのはすべて個人です。そう経験した人たちがだんだん減り、戦争を知らない人たちが戦争を云うんぬんしているのは危険だなと思いますね。